何度死にたいと思ったかわかりません。私の心にはきっと、世の役に立たない人間は生きている価値がないという思いがあったからでしょう。人が生まれてきたのは、世のため人のために役立つためだという信念があったからなのです。
それが、いつどういうきっかけで変わったのか。はっきり覚えているのは、園の森を一人で歩きながら、煌煌と光る満月を見ている時でした。もう、木々のざわめきや虫や鳥に対して、「聞く」ことを始めていた頃です。
月の光であたりは薄青く輝いており、木々もまた自ら気を発するように揺れ動いていました。私はあの森の道で、本当にただ一人で月と向かい合っていたのです。
なんと美しい月だろうと思いました。もう見蕩れてしまって、自分がやっかいな病気と闘っていることや、囲いのなかから出られないということもその時は忘れていたのです。
すると、私はたしかに聞いたような気がしたのです。月が私に向かってそっとささやいてくれたように思えたのです。
お前に、見て欲しかったんだよ。
だから光っていたんだよ、って。
その時から、私にはあらゆるものが違って見えるようになりました。私がいなければ、この満月はなかった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう。ただそれだけの話です。
でも、私だけではなく、もし人間がいなかったらどうだったか。人間だけではなく、およそものを感じることができるあらゆる命がこの世にいなかったらどうだったか。
無限にも等しいこの世は、すべて消えてしまうことになります。
ずいぶん誇大妄想だなと店長さんは思うかもしれません。
でも、この考え方が私を変えたのです。
私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある。
でも世の中には、生まれてたった二年ぐらいでその生命を終えてしまう子供もいます。そうするとみんな哀しみのなかで、その子が生まれた意味はなんだったのだろうと考えます。
今の私にはわかります。それはきっと、その子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるためです。その子が感じた世界は、そこに生まれる。だから、その子にもちゃんと生まれてきた意味があったのです。
同じことで、私の主人のように人生の大半を闘病に費やし、傍から見れば無念のうちに去らざるを得なかった命もまた、生まれてきた意味があったのです。その人生を通じて、空や風を感じたのですから。
ハンセン病におかされた者だけではなく、きっと誰もが、自分には生きる意味があるのだろうかと考える時があるかと思います。
その答えですが……生きる意味はあるのだと、私には今、はっきりわかります。
もちろん、だからといって目の前の問題が解決されるわけではなく、生きていくことは苦しみの連続だと感じられる時もあります。
『あん』ドリアン助川