真宗大谷派西敬寺

智慧(ちえ)

 第1の意味では、仏教の無常の道理を洞察する強靭な認識の力を指す。この用語としては、仏教の代表的実践体系である<六波羅蜜(ろくはらみつ)>の最後に位置づけられ、それ以前の五波羅蜜を基礎づける根拠として最も重要なものとみなされている。第2の意味では、智と慧のうち、後者が上述の第1の意味を担うことになるが、これに対する智は、更に慧よりも境界の高いものと教義的には規定されている。この場合の智は、仏教の実践体系が六波羅蜜以外にも展開されて<十地>として整備されたときに、第六地では慧を、第十地では智を得るというように順列化されたために、慧よりも一段高いものと見なされたにすぎず、基本的には慧の働きを十地の展開に合わせて拡大したものと考えることができる。もっとも、部派仏教では、十地の展開とは無関係に、智が詳細に分類され、特に有部(うぶ)では、十智や有漏智・無漏智の分類に基づく、種々の概念規定が試みられた。大乗仏教では、特に唯識で説かれる、通常の認識活動を転換した智としての<四智>、智の段階的な進展を示す加行智・無分別智・後得智という<三智>が代表的なものである。

なお,第3の意味としては、以上に示した種々な意味合いが、智慧という一語に込められて広い意味で用いられていると考えられる。この場合には、多く、世俗的なさかしらな識別に対して、世事を離れた、あるいは世事を見通す叡智、かしこさを指して用いられる。(岩波仏教辞典)