地域で憲法9条を守ろうという運動を今こそやらねばと、地元平和委員会のメンバーからの提案で準備をしてきました。発起人11人と平和委員会メンバーが事務局となり、「9条の会をつくり、会員が100人になったら総会を開こう」と宗教者、学識経験者、医師、主婦、会社員などに訴え、現在90人の呼びかけ人と、200人の会員になりました。
地域は桃源台小、東豊田小、大谷小、久能小の4小学校区で、名称を「するが有度山麓九条の会」と名付けました。
はじめに、呼びかけ人の一人、吉岡一枝さんが代表の影絵劇団「うた時計」による、童話「きつねのまど」の色鮮やかな影絵を上演。「戦争は命あるすべてのものに苦悩と悲しみを与える。私たちは平和のために活動を続けて行きます」と述べました。
主催者を代表し三橋良士明先生(静岡大学教授)が「侵略戦争に対する世界の反ファシズム・平和の反映としてできた9条を守る連帯の輪を広げよう」と挨拶しました。
高橋潤次氏(静岡県平和委員会代表委員)が「私と憲法9条」と題して記念講演。1944年10月、海軍中尉として潜水母艦「迅鯨 に乗船し沖縄に停泊中、米軍機の攻撃を受け、右腕を失った体験や戦後べラウ訪問」などを語り、「戦争は絶対にしてはならない」と力を込めました。
リレートークでは、小鹿で開業する歯科医師、地元小学校教師、保育園園長、若い保育士、真宗大谷派住職と多彩な顔ぶれのも皆さんが「憲法9条によせる私のおもい」というテーマで熱心にお話してくださいました。後半は盛り上がって、保育士さんの歌と語りや平場からの飛び入り発言もあって、楽しく内容の豊かな集会となりました。
まとめに竹内さんが〝憲法が危ない〟とこれからの課題も提起され閉会となりました。
平野克明(静岡大学名誉教授)
私が鈴木安蔵先生に知遇を得たのは、当時、大岩にあった静大文理学部に赴任してからで、厳格なうちにも、「ゆうべは遅くまで勉強していたね」と声をかけて下さる優しさが印象に残っています。
戦後、新憲法が制定され、日本が平和な民主国家として出発して僅か十数年を経た頃、先生は、憲法改悪の動きを逸早く察知され、「広く憲法擁護、憲法の完全実現の国民運動」によって改憲論に対抗すべきことを強調され(先生が所長の静岡県社会問題研究所発行の「季刊静岡県労働時評」(1962年)2号(1963年)5号などに掲載)中でも静岡県憲法会議の創設は、先生の多大なご貢献によるものです。若輩の私は、短い期間でしたが、先生の下で多く薫陶を戴き、深く感謝している次第です。
監修 大澤 豊 脚本 池田太郎 企画・制作 小室皓充
世界の宝・日本国憲法はこうしてつくられた!
憲法学者・鈴木安蔵(1904〜1983)
ストーリー
雑誌編集部に勤める沙也可(22)は、特集企画の「日本国憲法誕生の原点を問う!」で、名も知らぬ鈴木安蔵の取材を進めることになる。-戦後まもなく、安蔵を中心とした民間人による「憲法研究会」が作成した憲法草案が、実はGHQ案のお手本になっていたという事実-。安蔵の娘への取材に成功した沙也可は、託された安蔵の日記を手がかりに、日本国憲法誕生を巡る真実のドラマを明らかにしていく…。
★戦争のできる国に邪魔な9条を骨抜きにしようとしている小泉(現在安倍)内閣にキッパリNO!を国民全体で突きつけましょう(小鹿Kさん)★戦争で犠牲の上の憲法はなんとしても守らねばならぬ(大谷Hさん)★憲法9条を改正し、戦争をする国にする必要は全くありません。但し、相手国から戦争を仕掛けられた場合、憲法9条で日本を守ることが出来るのか、現実に北朝鮮、中国は日本を狙っています(富厚里Sさん)
10月24日世話人会が開催されました●今回発行が遅くなりましたがニュースを発行していきます●小集会や井戸端会議を呼びかけます●引き続き入会を進めましょう(入会のしおりの必要な方は連絡を!)●憲法改悪に反対し、第9条を守り、平和のために生かすことを求める署名も集めましょう(用紙あります)
事務局 静岡市駿河区大谷3920-1 堀内孝三
電話・FAX (054)237-3141
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