真宗大谷派西敬寺

善導(ぜんどう)

 613〜681 中国浄土教の大成者。浄土五祖の第三、真宗七高僧の第五に数えられる。終南大師、光明寺の和尚とも呼ばれる。山東省臨淄の出身。出生の直前は大の崇仏家であった隋の文帝の時代であり、天台の開祖智顗(ちぎ)は善導出生の16年前に没し、また道綽(どうしゃく)は善導出生の4年前に浄土教に帰依。三論再興の祖吉蔵や訳経史上著名な玄奘(げんじょう)はなお善導と同時代に活躍しており、善導が最も活動したのは、唐の国運隆盛のピークであった太宗・高宗の時代であった。

修行と教化

 出家して諸所を遍歴し、17〜24歳の間に山西の道綽をたずね、観無量寿経を授かった。その後10年余、道綽に師事し、浄土の行業につとめた。道綽滅後、長安の南の終南山悟真寺に入り、きびしい修行にはげむ。その後長安の都に出、庶民の教化に専念。阿弥陀経を書写しては有縁(うえん)の人々に与え、その数は数万巻に及んだという。また浄土の荘厳の有様を絵図にして教化するなど、士女奉ずるものその数無量なり、と伝えられる。一方で,竜門石仏造営工事の検校をつとめるなど、幅広い活動をしている。長安では光明寺、慈恩寺、実際寺などに住していた。

著作

 五部九巻の著作(『観無量寿経疏』(観経疏)4巻、『法事讃』2巻、『観念法門』1巻、『往生礼讃』1巻、『般舟讃』1巻)はほとんど長安の時代の作とされる。このうち『観経疏』は観経解釈の決定版であると自負、法然は『偏(ひと)へに善導一師に依(よ)る』(偏依(へんね)善導)[選択本願念仏集]と言い、親鸞は『善導独り仏の正意を明らかにせり』(善導独明仏正意)[正信念仏偈]と述べた。(岩波仏教辞典)