真宗大谷派西敬寺

弘願(ぐがん)

<広大な願い>の意。仏が衆生(しゅじょう)を助け、さとりへと導くために起す、広大な誓願のこと。<弘誓(ぐぜい)><弘誓願>ともいい、これを一般的にまとめたものが<四弘誓願(しぐぜいがん)>である。なお、浄土教では、一般に阿弥陀仏の本願(無量寿経に説く四十八願)を意味する。ただし、浄土宗鎮西派では四十八願のうち十八・十九・二十・三十五の4願を、浄土宗西山派や浄土真宗では第十八願のみを指してこう呼ぶ。ただ善導の遺教を信ずるのみにあらず、またあつく弥陀の弘願に順ぜり[黒谷上人語灯録(15)](岩波仏教辞典)

 

〔仏〕広大な誓願。浄土真宗で阿弥陀仏の本願中、特に第十八願をいう語。(広辞苑第六版)

 

弘願というは、『大経』の説のごとし。一切善悪凡夫のうまるることをうるは、みな阿弥陀仏の大願業力にのりて、増上縁とせざるはなしとなり。されば宿善あつきひとは、今生に善をこのみ、悪をおそる、宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ、善にうとし。ただ、善悪のふたつをば、過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力にまかせて、かつて、機のよきあしきに、目をかけて、往生の得否をさだむべからず、となり。(『口伝鈔』真宗聖典653)