真宗大谷派西敬寺

解脱(げだつ)

一般的には束縛から解き放す意。仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう。インド思想全般で説かれる理念で、仏教にも採用された。解脱した心は迷いがなく、煩悩が再び生じないので、涅槃(ねはん)と同じ意味になる。インド一般の思想では、輪廻(りんね)からの解脱を意味する。釈尊(しゃくそん)は煩悩から解脱して涅槃を得たが、35歳の成道(じょうどう)後80歳で亡くなるまでは身体を備えていたので<有余依(うよえ)涅槃>といい、死とともに<無余依(むよえ)涅槃>に入ったとか<大般(だいはつ)涅槃>に入ったという。(岩波仏教辞典)

解脱(諸説)

原始仏教では、修行者の理想は煩悩を滅し尽くした阿羅漢(あらかん)の姿である。つまり修行者は戒(かい)定(じょう)慧(え)の三学と解脱と解脱知見(解脱し悟ったことの自覚)の五分法身(ごぶんほっしん)を備えることが必須条件である。阿羅漢はまた貪愛(とんあい)からの解脱(心解脱)、無明(むみょう)からの解脱(慧解脱)、智慧と禅定(ぜんじょう)の両面で得る解脱(倶(く)解脱)を得ているとする。部派仏教では、煩悩や解脱を法(法)として実体視するなど、部派ごとに解脱をめぐって独自の解釈を展開した。しかし、どれも修行者個人の解脱が問題であり、その限りで実践もなされていた。それに対して大乗仏教では、自己の解脱は衆生(しゅじょう)の救済(くさい)と共にあると考え、六波羅蜜(ろくはらみつ)の利他行(りたぎょう)が重視された。そして全ての法は空(くう)であって、解脱にも実体がないと主張し、それを悟り実践するところに解脱があるとした。(岩波仏教辞典)